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−音楽について、JAZZについて

納浩一インタビュー

 

心地よいグルーブ、深く豊かな表現力。”うたごころ”あふれる彼のベースは聴くものの魂をゆさぶる・・・・「日本一忙しいベーシスト」と言われ、その名のとおりジャンルを越えて幅広く活躍している。


ディープパープルのHighway Star・・・電気、走りましたね!

 

Q: 初めて音楽を聴いて感動したのは?


納浩一:
最初はやっぱりビートルズですよね。兄貴が持っていた "Hard Day's Night"を聴いて、それまで歌謡曲しか聴いたことがなかったから、初めてのロック体験ですよね、それも洋楽体験っていうか、もちろんラジオでカーペンターズとか、いろいろ流れていましたけど、自分で針落として「うわ〜、かっこいい〜」って思ったのは、たぶん小学校4年生ぐらいの時のビートルズですね。とにかく今までに聴いたことがないサウンドでしたねえ。

 


兄はカントリーミュージックみたいなギターやマンドリンをやっていて、姉はずっとクラシックピアノをやっていたんで、家には常にいろんな音楽が流れていたんです。中学2年生くらいの時学校がバンドブームになったんです。で、「俺等もやろうか」っていう話になって、当然ビートルズが好きだったから、やってたんですけど、そん時に、ギターのやつが「ビートルズなんか子供、子供」とかいって、「これ聴かなあかんで」って持ってきたのがディープパープルの"Live In Japan"で、その1曲目のHighway Starをかけられたときには、もう完璧にキマシタね!

あれはもう・・・あれを越える感動は未だにないです。もっと違った意味での、大きくなってからの「すごい」っていう感動はありますけど、原初の「真っ白なキャンバスに原色がバッと塗られた」っていう・・・あの感じは決定的ですね。電気、走りましたね!



 

 

Q: 納さんの音楽的なルーツというとそのあたりなのですか?

 

納浩一:
そうですねえ・・・でも今「ロック弾け」って言われても弾けないんです。だからきっとディープパープルとか聴いていた頃っていうのは、ヴォーカルとギターを聴いていたんでしょうね。あの頃好きだったベーシストっていうのは、ほとんど頭には残っていないですから、ギターのフレーズはいっぱい知っているんですよ、リッチーブラックモアがこんなん弾いてたとか・・・でもベース弾けっていうと全然残っていないから、あの頃僕はベーシストとしてはロックミュージックを聴いていなかった。その結果、今、ロックベースを弾けって言われても全然弾けないです。

だから僕がベーシストとして自分を意識しだしたのは、その次の電気的ショックなんですけど、アースウィンドアンドファイアーの初来日、78年の・・・あれはショックでしたね。 僕も「ロックベースってどうもつまんない」「ギターやヴォーカルはあんなにカッコいいのに、ベースはどうもなあ」って思っていてギターやっていたんですよ、ちょっと。

「でもギターなんて、ギターうまい奴なんてなんぼでもいるしなあ」「やっぱ、ベーシストやしなあ」とか思っていたところに、そのブラックミュージックっていうかフュージョンブームがきて、で、パッと雑誌買ってみると、ジャコとかスタンリー・クラークとか「凄いのがいっぱいいるぞ」とか書いてあるわけですよ。「誰やジャコ?誰やスタンリークラーク?」って言ってフォローしだすと、なんかとんでもないのが、"ギターのように弾く奴"がいっぱいいるじゃないか!と、そうこうしているうちにチョッパーベースが、"いまやベーシストはこれでスターだぞ"みたいな話になってきて・・・という瞬間にアースウィンド&ファイアーを観たんで、もうそっから一気にブラックミュージック、フュージョンにバーっと行ってしまいましたね。一気にきましたね、あれは・・・。


Q: ベースという楽器に魅力を感じたのは?


納浩一:
その時ですね。だから僕の音楽的なルーツはロックですけど、ベーシストとしてのルーツは78年のアース・ウィンド&ファイアーあたりが自分をベーシストとして意識しだしたというか・・・



Q: では、影響を受けたアーティストというと?


納浩一:
マイルスとスティービー・ワンダーですね。音楽的な美しさとかアイデアの豊富さ、という点ではビートルズなんですけど、僕がベースを弾く"あらゆる局面"で瞬間的にあんな風に、っていうのはやっぱりマイルスが決定的で、「マイルスのように音楽をやっていきたい」「この瞬間マイルスのように弾いてみたい」「マイルスだったら、きっとこんな風にするんちゃうのかな」というのが常にあるのと、スティービー・ワンダーについては、メロディーの美しさとグルーブのカッコよさを、うまくミックスさせているっていう・・・普通どっちかに偏っちゃうんですよね。その両方のバランスをうまくとっている、その代表的なミュージシャンだと思うんです。



Q: ミュージシャンになろうと意識されたのは?


納浩一:
今、振り返ると、アースを観に行った17、18歳の頃ですね、プロになりたいな、と思ったのは・・・

Q: 自分で出される音色へのこだわりはありますか? 納浩一: 「こうあるべき」と決めていないんですよね。「絶対にこうしたい」というよりも、その楽曲に応じた音、「他人との未知との遭遇"によって、自分も未知のステップを踏み出せることを楽しみたい」ところがあるので、あんまりこだわりはないです。ただもちろん、あったかい音、太い音、重い音・・・っていうのは全部出したいけど、でもそれに限定する気はないっていう感じですね。

 

 

リズム&グルーブ・・・言葉では全く伝えることができない、でも音を出せば"瞬間的”に解かってしまう



Q: 納さんのべース奏法のポイントを教えてください。

納浩一:
タイミングとスピードだと思うんですよ。空手で威力のあるパンチを出すためには"叩くよりも戻す時のスピードがいる"という、、、「がーん」ってやるだけだと、"凄いエネルギー"は発生しないらしんですよね。殴ったあとにどれだけスピードつけて戻すか、みたいな、その"スピードとあてるタイミング"・・・

ベースも「グーッ」と力を入れて、「ブン」ってやるんじゃなくて、その瞬発力というか、その瞬間に右と左のタイミングを合わせて、一気にそこに力を「バン」とあてて、すぐ「スッ」と抜くという、その連続、、、瞬間的に「ピッ」と力を入れて、瞬間的に「シュッ」と抜く、そのうまいタイミングとスピードのある力の入れ方とその連続、そのバランス・・・それがまずひとつ。

あとひとつ思うのは、すごいピアノ(p)が出せたら、そんなにフォルテ(f)って大きくなくてもいいのに、へたな人っていうのはピアノが出せないから、フォルテばっかり出そうとする。結果、力ばかりがわーっと上がっていって、濁った音にしか到達しないんですよね。だから、極力すごいピアノで弾ける、ストンとピアノに落とせるような、うまいコントロールができていたら、そんなに大きな音でなくても、ある瞬間、すごいエネルギーがあるように聴こえる。だから僕はそのピアノの設定だと思います。



Q: 納さんのベースを聴くと本当に心地よいグルーブを感じるのですが、納さん自身は"リズムとグルーブ"について、どう考えられていますか?

納浩一:
ひとつには"リズムとグループ"というのは、ちょっと違うんだと思うんですよ。ただそれを表現するのは抽象的な話なんで難しいんですが、「リズムとはなにか? グルーブとはなにか?」というと、意識しているのは、まずとにかく正確なリズム、これは絶対だと思うんです。そのうえでの心地よいグルーブ。だから正確なリズムだけでは心地よいグルーブは出ないんだと思うんですよ。

でも、心地よい"良いグルーブ"は正確なリズムの上でないと出ないんですよ。正確なリズムっていう土台の上に、どうやって心地よいグルーブ感を出すか?っていうところを常に意識しているというか、2段階でもあり、別の2者両立したものでもあり、対立するものでもあり、みたいな。すごく漠然としているのに奥はむちゃくちゃ深くて、言葉では全く伝えることができない・・・でも音を出せば"瞬間的に解かってしまう"というのが、リズムであり、グルーブである、というものですね。



Q:納さんはとても幅広く活躍されていますが、納さんご自身に一番フィットするジャンルというと、やはりジャズですか?

納浩一:
そうとは限らないというか、僕は全部好きですね。さっきも言いましたけど、常に変化していたい、ところがあるんです。だから僕が一番表現したいのがジャズか、っていうと、そうではなくて、ファンク、ギターデュオ、ポップス・・・どれも全部好きなんで、「これが納浩一です」っていうのは、あんまり自分では意識していないですね。 でも発想はジャズ的で、「なにがあってもいいよ」という意味での"ジャズ"でありたいわけで、そのためには"全て決まっているポップスでもいい"と、それが自分にとって全然違う新鮮なものを与えてくれるのであれば・・・。


Q: 新しく経験してみたいジャンルはありますか?


納浩一:
邦楽はやってみたいですね。ただ楽器ができないんで、邦楽の。 邦楽の人とやったりはするんですよ。ただ結局、邦楽の人がこっちのほうに歩み寄ってきてくれるんで、もうちょっと邦楽的なところに入っていけないのかな、という感じはするんですが・・・おそらくそれは無理だと思うんですね。 邦楽っていう音楽を守ろうとすると、邦楽にはそれほど自由度がないから・・・というかジャズ以外の音楽には、まずジャズ的な自由度はないんで。

たとえば僕がクラシックやポップスの中に入っても"僕が自由に好きなことをやりだした瞬間"それは"ジャズ"になってしまうんですよね。結局"ジャズ"だけが他流試合ができる音楽で、それ以外はそこにある様式なり、形式をろう習しないと"その音楽"にならない。だから、おそらくそんなに"自由度の高い音楽"っていうのは「今んとこ見渡す限りジャズ以外にはないよな」と思うんです。



Q: そう考えると、ジャズっていうのはおもしろい音楽ですね?


納浩一:
そうなんです。本当、すごいんですよ、この音楽。考え方というか・・・



〜納浩一、ジャズを語る・・・

 

Q: ジャズの話がでたところで、最近のジャズシーンについて思われることはありますか?


ミュージシャン・・・

納浩一:
最近ちょっと気になるのは、ジャズ界でハッとするような人が少なくなってきた、若い人で。みんな楽器はうまくなってきているし、リズムとかもバッチリなんだけど、「えー、なんで?」って驚くようなことが少なくなってきているかな、っていう気がするんです。

僕はその1つの要因は、ジャズのマーケットがどんどん小さくなってきて、有能な才能がどんどんポップス系に行っている。面白いこと考えている、アイデア豊富な奴は、どっちかって言うと、ジャズには来ない、と・・・

例えば日野さんとか貞夫さんの時代っていうのは、ジャズが一番メジャーな、カッコいい、ポップな、ヒップな音楽だったわけですよね。ジャズしかなかったから、才能のある"とんでもない人"はみんなジャズに来たわけなんですよね。ところが今は、よっぽどマニアックに楽器が好きな奴、じゃない限りはジャズの方にこないから・・・だから本当にアイデア豊富で、人と違うことを考えている奴っていうのは、段々このシーンには来なくなっているので、そういう意味で「ぽーん」と飛んでる人っていうのが、「あまりいなくなったな」という気がすごくしますね。

ジャズっていうのは、ちゃんとやってみると面白い分野だと思うし、そういう人が"10年くらいたって、なんとなくジャズの方に流れてきたり"っていうのはあると思うんですよね。実際、僕ぐらいの世代でジャズじゃない人がジャズとの"他流試合"をやりだしたり、っていうのはあると思うんですよ。 ただやっぱり今の若い、20代くらいの人にとっては、ジャズっていうのが"もうなかなか目につかない"ところまで追いやられているから、「しかたがないのかな」っていう気はしてますけどね。

まあジャズも消え去る、絶滅することはないと思うんで、これからもさまざまな"他流試合"もあると思いますけど、パッと突出したクリエイターみたいな人はこのフィールドに来ていないな、特に日本ではどんどん減っているんじゃないかな、ていう気はするんです。日本でジャズをやっている立場からすると、そのへんがちょっと寂しいな、っていう・・・ま、自分も人をハッとさせるようにならないといけないんですけれどね。

 

ライブ・・・

納浩一:
ジャズのライブっていうのは"はずれ"が多くていいと思うんです。今、"ハズレ"がなさすぎる、当たりがないぶん。ポップスだと凄まじいリハーサルの量で、だから何回見てもほとんど同じクオリティのものが観られる、いわゆるショーですよね。 ところがジャズっていうのは、ジャズこそは、そうであってはならない。もっともっと"ハズレ"ないといけないのに、それも"トライしてハズレる"っていうやつね。"トライもしていない"っていうのが今、あるんじゃないですかね、自分も含めてね。そういうとこまで、やっぱし意識が高まっていない、っていう感じが自分自身でしていますね。「もっと、トライせなあかんのにな」っていう・・・

だからマイルスバンドなんて、今音源が残っているライブを聴くと「どうなってんねん!」っていうところまでいきますよね。「どうして、こうなんの?」、でも残っている音源以外のところでは、凄まじいハズレがあったと思うんですよね、あのバンド。良いのはもちろん残っていますけど、あかん時のあのバンドって「ひどくあかんのちゃうかな?」ていう。その代わり、とんでもない、ああいう「危機せまる」いい演奏があるっていう、そういうところをもっと・・・「それがジャズや」と思うんで。

 

オーディエンス・・・

納浩一:
僕がひとつ思うのは、聴き手側が"I'm ready"でないと・・・受ける側の"体制"が整っていないと"入っていけない音楽"だと思うんですよ。感性という意味でもそうですし、年齢的なこともあるでしょうし、あとはエネルギーっていう問題でもあります。

まず感性っていうところでは、言葉のないインストゥルメンタルミュージックで、しかもアドリブが連続するというものに対して、そこから何かを得る感性、自分で景色を描ける感受性とか、そういうものが整っていないといけないし、年齢的なことでは、ある程度、いろいろなことを知って、いろいろな音楽も聴いたうえで、だんだんインストゥルメンタルが解るようになる(絵画でも急に抽象的なアートっていうのは無理ですよね)。

あとはエネルギーですよね。しんどい時は、ジャズきついです。特にエネルギーのあるジャズは、マイルス・デイビスなんて根性ないと聴けないですからね。聴く側に要求されること、ってすごく多いと思うんですよ、ジャズは。特にミュージシャンの主張が強くなると(それがジャズですから!)、聴くほうも根性いれてエネルギッシュに聴かないと・・・

 

オリジナリティの追求・・・

納浩一:
ここまでアメリカナイズしたことをする必要はないんじゃないの?こんなんでええんかな?こんなことしてたら、誰も相手してくれへんようになるよ、っていう気はしてますね。 特に作品の発表というところでのオリジナリティの問題とか・・・なかなか日本人にオリジナリティが、特にジャズで、もうひとつ少ないっていうことについては、そういう気がするんですよね。

ジャズで"アメリカ的なこと"を狙ったら、豪華さ、スピード、テクニックでは絶対勝てないから、向こうをびっくりさせるためには、なんか違うところで勝負するしかないんですよね。そういう部分が果たして今、ジャズ、というかインストゥルミュージックにあるのかないのか?ということを模索中なんです。

ただ僕の40年を振り返ってみても、生まれたときから常に洋楽に接しているから、邦楽である必要はないと思うんです。結局オリジナリティって、なにに戻ってくるかと言うと、僕の"ナショナリティ"じゃなくて"アイデンティティ"に戻ってくるだけのことなんだろうな、と思うんですよね。 だから毎日、僕が何を食べていて、どこで生活をしていて、納浩一っていうのは何を考えていて、っていうものに返ってくるしかない、きっとナショナリティっていうことは、僕の中ではそうとう薄い。「日本人やから、こんな音ださなあかん」とかっていうのは、ほとんどもう意識していない。

そういう意味では、僕の中での音楽的な国境っていうのはぜんぜんないですね。 もっと自分のアイデンティティを、納浩一っていうのはなんやねん、ていうことを考えなあかん、で、僕が音楽っていうのはどういうことかっていうと、納浩一っていうのはこんな人、っていうのを自分で確立していく作業が、僕は音楽していることだと思うんです。

要するに、僕よりうまい人は五万といて、僕より才能のある人は五万といて、そういう人達がCDをたくさん出して、うまく演奏していて・・・ただその人との勝負やったら、僕が音楽をやっている意味なんて、もうほとんどないです。 だから「僕がなんで音楽やっているか」というと、自分のために「自分のアイデンティティを確立するため」にやっていて、誰よりうまいとか、誰よりへただ、とかっていうのは、ほとんど僕にとっては意味も無いし、それを言うた瞬間「やめたほうがいいよ」っていう声が、、、「それを勝負するんのやったら、いますぐ、やめたほうがいいよ」っていう答えが自分のなかで、もうはっきりしているから、だから、それよりは自分のために自分のことを、自己発見みたいな自己確立みたいな、そのための音楽かな、っていう感じですね。

僕の場合「僕にとって一番自然なのは、自分を深く追求して」みたいなところにいったから、政治的なことや環境、社会的なことも気になる、っていうのはあくまでも僕のスタンスですが・・・ 結局、僕が音楽をやっている「原動力」って音楽にないんですよね。例えばデュオラマなんか、あれは「なにが原動力になったか」というと親戚の死なんです。どうしても音楽を「原動力」にしようとすると出来上がったものがテクニカルなものになっちゃうから。

最初はベースを弾いていてパッとフレーズが浮かんだ、とかピアノをポロンと弾いてて「このハーモニーかっこええ」とか、っていうテクニカルなHOW TOから入っていきますけど、それだけではイメージ発展していけへんから、それだけで発展させるとテクニカルなものになっちゃうんで、そこにもっと「根源的な原動力」を与えるために、今、世の中で起こっている、自分が気になること、絵とか映画、海外の風景とか・・・それからうけるインパクトを原動力に曲を作るほうが自分の心に素直な曲ができるかな、っていう気はするんです。

Q:ありがとうございます。ジャズについて、オリジナリティについて・・・とても考えさせられるお話です。 さいごにファンのみなさんへのメッセージをいただけますか?

 

納浩一:
ファンといっていいのか、ジャズに興味がある人に対して・・・とにかく抽象的な音楽なので、より受け手側も積極的に音楽に参加する、それは「手をたたく」とかいうのではなくて、そこから新たなイマジネーションというか、絵を描いてほしいんですよね。僕等が出した音に対して「あなたなりの絵をキャンバスに描くようなアプローチをしてもらう」と、僕はうれしいな、と思います。

昔よくジャズ喫茶にいたじゃないですか、こう、ずーっと目を閉じて聴いている人ね、あれ、いっぺん、やってほしいんです。情景やシーンを描くようにジャズやフュージョンに接していただけると、かえって"言葉がないよさ"が、どんどん見えてくると思うんですよね。"想像力の遊び"みたいにインストゥルミュージックを捉えてもらえると、もっと楽しめるんじゃないかな。入ってきたものに対して"そのまま感じる"というか、ジャズのHOW TOはあんまり気にせんといてください、というのがメッセージというか、希望ですね。


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音楽について、ジャズについて、とても情熱的に語っていただきました。そのお話からは納さんの「人生哲学」のようなものを感じました。 この日はアン・ミュージック・スクールでレッスン後のインタビューでしたが、生徒さんからもとてもよく慕われている気さくな方でした。(2001.2.22/ アン・ミュージック・スクールにて)
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撮影協力: Someday
Interbiew & Photos: S.Hatano


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